慮
智者の慮は必ず利害に雑う
孫子の一節である。
賢い人は物事について考える際、メリットとデメリットの両面を見て判断する、
と言ったところであろうか。
メリットとデメリットの両面を見比べることが重要であることは言うまでもない。
しかしわざわざ智者の慮と付け加えられていることからも伺えるように、
現代社会においてもそれを実践できている人は少ない。
自分はできていると自負している人でも、常にできているとはいえまい。
多分に主観の所為であろう。
主観が入るとその瞬間から視野狭窄に陥り、自分の信じる面しか見えなくなる。
その他の面から目を背けているに過ぎないのかもしれない。
ともかく、客観的な判断は下せなくなり、利害は蚊帳の外に置かれる。
但し、たとえ利害を慮ることができても、判断を下すのは難しい。
物事にデメリットがあるということは、逆に言えばその選択を採らないという選択にメリットがあるということである。
どちらにもうまみがあればこそ、判断を下すのは難しいのだ。
判断を下すという点に限れば、視野狭窄に陥っている状態のほうがはるかに容易い。
優柔不断を自認する私だからこそ、より強くそう感じてしまうのかもしれない。
とにかく、日頃の何気ない行動の選択にも、その選択の利害を熟考して行動するように心がけたいものである。
自分の苦労話を延々話す知人がいる。
自分の頑張りを誰かに認めてもらいたい気持ちはよくわかるが、
やはり聞かされる方からすると滑稽だ。
そんな知人の言動を見て、感じたことを綴ってみた。