山と谷

昨夜以来、自分がここで何をしているんだろうと感じる。

所謂プチ五月病というやつであろうか。

切っ掛けはテレビで地元の祭りを取り扱った番組を見たことにある。

 

研究は一瞬の感動のために試行錯誤を繰り返すようなもので、

うまくいかないケースは往々にしてあるものだ。

 

壁にぶつかって頭を働かせることは好きだが、それが続くと精神がもたない。

身体的な疲労が蓄積しているときは、一等辛い。

 

そんなときに楽しそうな人や祭りを見れば、冒頭の様な感情を抱くのも道理だろう。

 

幸福な時間というものにはある種の中毒性がある。

苦しければ苦しいほど、即ち幸福な時間から遠ければ遠いほどその時間を渇望する。

 

しかし、普段の生活における苦悩の蓄積こそが、一瞬の幸福を更に引き立てる。

 

要するに、山と谷である。

谷を知ればこそ、山の高さを知ることができる。

 

こうして自分の心を取り出すと、吹っ切れる。

仲間

 

またしても一週間が経過してしまった…

まあ書くことが無かったら書かないし仕方ない(言い訳)

 

近頃、同じ研究グループのメンバーを仲間であると意識するようになってきた。

 

2ヶ月弱が経過したとはいえ、研究テーマがバラバラの上、未だ新米同然の我々にはその意識が欠如しているように感じられるが、上の世代になればなるほどその意識は強まるらしい。

 

正直なところ、これまでは仲間意識よりも盗めるものは盗む、言ってしまえば利用するという意識が先に立っていた。

 

研究グループのメンバーと慣れ合うつもりはないけれど、もう少し歩み寄ってもいいのではないかと感じた一週間だった。

一歩一歩

 書くことはいくらでもあると思われたが、書いてみると案外思い浮かばない。

ということで一週間が経過してしまった、、、

 

先が思いやられるが、昨日感じたことをば。

 

はるか先に目指すべき大きな目標がある。

 

けれどいきなりそこまで跳ぼうとしても、そこまでの跳躍力はない。

 

一歩一歩着実に、跳べる高さまでの跳躍を繰り返す。

或いはそれこそ理想へ至る一番の近道なのではなかろうか。

いつまで続くか

研究生活を始めて1ヶ月余、そろそろ生活に余裕もできてきた。

そこで一念発起しブログを書いてみることにした。

 

果たしてどれくらい続くのか。

 

早速書くことがない…、なのでとりあえず外を眺めてみた。

 

最近日が長くなったと感じる。

本格的に研究を開始すべく、ひたすら基礎の基礎を学ぶ毎日を過ごしていても、お構いなしに周りの世界は動いている。

 

それだけ充実しているということなのだが、世界から置いていかれているという感は否めない。

 

周りの就活中や、すでに就職した知人を見るたびに、やはり取り残されていくような感覚に陥る。

 

きっとこの先もこのような思いに駆られることは多かろうが、好きなことを自由にやれる時間はそう多くないのだから、後で後悔する事のないようにやりきらねば。

 

研究室の窓の外の夕日を眺め、ふと思ったことを綴ってみた。